文章系サークル?「Co mode.」の本拠地
兼中の人の彼是
主にラジオっぽい事をやってみたり 実際は下らない事を徒然と吐き出すだけの戯言
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ふと「長らく放置していたなあ、下宿中は生きてることを示す為にメッセにログインでもしてみるか」と不意に思い、取り敢えずログインしてみた。
普段のやり取りは殆どスカイプ上で行うようになってしまったのと、唯一定期的に連絡が必要だった家族との連絡も事あれば電話を飛ばすと言う形になってしまったので、一旦離れてしまうともう殆どメッセなんて要らないんじゃないかと思う始末。
じゃあメッセ界隈だけでつながりのある、そこに残されてしまった人たちはどうなるのかーと言いますと。
け、決して忘れてた訳じゃないんだからね!勘違いしないでよ…。
僕の必死の体の良い、いい訳でした。関係ないんですけど「ていのいいいいわけ」と変換も読点も含まずに書くと何だか誤変換か誤った文書のように見えますが、ちゃんとした言葉になっている事に驚きです。
さて、そんな訳でメッセにインして友人とバカな話で盛り上がっていると懐かしい人からのメッセージ。
懐かしいと言いつつ、つい一月ほど前に「ご自分を自愛しないとダメですよ」と言われたばかりだったりもしますが。古くから付き合いのある、私にとってはかなり長い間関わりのある方。細かいエピソードなんかを語りだすとそれこそ膨大な量になってしまうので、またの機会にでも。多分そう言って書かないままなんでしょうけどね。
人に微妙な距離感を保たれるのが好きだったり。いや、別にネット上の会話に距離感なんて必要ないと思うんですが。昔からこの人は、そう言った微妙な心地のいい距離ってのを感じさせてくれる人で(単に私が無意識の内に距離を取ってしまっているのかも知れない、とも言う)、時には優しく時には厳しくしてくれる人でした。
私が今書いているこの文体と言うのも、少なからずともその人に影響を受けた形で今の形が仕上がっている
、と言っても過言で無いのかも。これを書き出す前にちょろっと文書を拝見したから、ってのもあるのだと思いますが―――
閑話休題。
やっぱり友人が居るのはいい事です。いや、その人の事を「友人」なんて称するのは、おこがましいか罰当たりかの二者択一になってしまうのかも知れませんが、この人が居てくれてよかったな、って改めて思ったんですよ。
時にはふて腐れている自分を(形はどうであれ)慰めてくれたり、時には悩んでいる(でも私は「助けて欲しい」なんて口に決して出さない)様を察して色々と世話を焼いてくれたり。
言葉ってのはお互いの意思を伝える上で大事な要素ではあるんですが、言葉もなしにお互いの気持ちを汲めるような関係って素敵だと思うんですよ。ましては見た事も、あった事も無い相手に対して限定で。
そういう状況下である以上、相手の本質を見抜くのに必要な材料は相手のタイプした文書、メッセージの一つ一つ。その一つ一つの要素から相手の意思を汲み取れればいいんじゃないかなと思います。でも、あんまり常に気配りをしすぎると疲れるので、そこまで常習的に行いたいとは思いませんが。
必要最低限が言わずに伝わって、必要最低限を気にかけてくれる。そこから一歩踏み出してくるのはプライスレス。
私の勝手な思い込みなのかも知れませんが。
おそらく今のタイミングで様々なものを図示されたのは一種の天啓か、或いは何か意味があっての事なのか。
人と人との出会いからすっぱりと派生した、その延長線上に居るのならその機会を大事に、しっかりと受け止めて行かねばならんのですね、と。
ふとそんな事を思い浮かべた23の夜。
やっぱり何かを書くのは経験がモノを言ってしまうのですね…シミジミ。
でも逆に。シーン毎の描写をしたいならとのシーンの事を思い出して書けばいい、と言うヒントに辿りつきました。いや、至極当然の事を言ってるだけに過ぎないのかも知れませんけど。
普段のやり取りは殆どスカイプ上で行うようになってしまったのと、唯一定期的に連絡が必要だった家族との連絡も事あれば電話を飛ばすと言う形になってしまったので、一旦離れてしまうともう殆どメッセなんて要らないんじゃないかと思う始末。
じゃあメッセ界隈だけでつながりのある、そこに残されてしまった人たちはどうなるのかーと言いますと。
け、決して忘れてた訳じゃないんだからね!勘違いしないでよ…。
僕の必死の体の良い、いい訳でした。関係ないんですけど「ていのいいいいわけ」と変換も読点も含まずに書くと何だか誤変換か誤った文書のように見えますが、ちゃんとした言葉になっている事に驚きです。
さて、そんな訳でメッセにインして友人とバカな話で盛り上がっていると懐かしい人からのメッセージ。
懐かしいと言いつつ、つい一月ほど前に「ご自分を自愛しないとダメですよ」と言われたばかりだったりもしますが。古くから付き合いのある、私にとってはかなり長い間関わりのある方。細かいエピソードなんかを語りだすとそれこそ膨大な量になってしまうので、またの機会にでも。多分そう言って書かないままなんでしょうけどね。
人に微妙な距離感を保たれるのが好きだったり。いや、別にネット上の会話に距離感なんて必要ないと思うんですが。昔からこの人は、そう言った微妙な心地のいい距離ってのを感じさせてくれる人で(単に私が無意識の内に距離を取ってしまっているのかも知れない、とも言う)、時には優しく時には厳しくしてくれる人でした。
私が今書いているこの文体と言うのも、少なからずともその人に影響を受けた形で今の形が仕上がっている
、と言っても過言で無いのかも。これを書き出す前にちょろっと文書を拝見したから、ってのもあるのだと思いますが―――
閑話休題。
やっぱり友人が居るのはいい事です。いや、その人の事を「友人」なんて称するのは、おこがましいか罰当たりかの二者択一になってしまうのかも知れませんが、この人が居てくれてよかったな、って改めて思ったんですよ。
時にはふて腐れている自分を(形はどうであれ)慰めてくれたり、時には悩んでいる(でも私は「助けて欲しい」なんて口に決して出さない)様を察して色々と世話を焼いてくれたり。
言葉ってのはお互いの意思を伝える上で大事な要素ではあるんですが、言葉もなしにお互いの気持ちを汲めるような関係って素敵だと思うんですよ。ましては見た事も、あった事も無い相手に対して限定で。
そういう状況下である以上、相手の本質を見抜くのに必要な材料は相手のタイプした文書、メッセージの一つ一つ。その一つ一つの要素から相手の意思を汲み取れればいいんじゃないかなと思います。でも、あんまり常に気配りをしすぎると疲れるので、そこまで常習的に行いたいとは思いませんが。
必要最低限が言わずに伝わって、必要最低限を気にかけてくれる。そこから一歩踏み出してくるのはプライスレス。
私の勝手な思い込みなのかも知れませんが。
おそらく今のタイミングで様々なものを図示されたのは一種の天啓か、或いは何か意味があっての事なのか。
人と人との出会いからすっぱりと派生した、その延長線上に居るのならその機会を大事に、しっかりと受け止めて行かねばならんのですね、と。
ふとそんな事を思い浮かべた23の夜。
やっぱり何かを書くのは経験がモノを言ってしまうのですね…シミジミ。
でも逆に。シーン毎の描写をしたいならとのシーンの事を思い出して書けばいい、と言うヒントに辿りつきました。いや、至極当然の事を言ってるだけに過ぎないのかも知れませんけど。
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男性
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お話書いたり。同人活動していたり。
東方Projectスキー。
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